
荒川神社について
水の神をお祀りし、古くから地域の暮らしと稲作を見守ってきた神社です。
御祭神

- 水波能女大神
(みずはのめのおおかみ) -
水を司り、清らかな恵みをもたらす神さま
- 手置帆負大神
(たおきほおいのおおかみ) -
建築・木工など物づくりを司る神さま
- 彦左知大神
(ひこさしりのおおかみ) -
建築・木工など物づくりを司る神さま
荒川神社例祭風流


平成十六年九月一日付け姫路市指定重要無形民俗文化財。
近世近代の稲作の過程に対応した祭礼とそれにともなう風流をよく残しているものとして指定、荒川神社祭礼行事保存会が認定保持団体。
「田休みの祭り (夏祭り)」は、稲の順調な生育を願う時期に行い、現在七月一七日。
災厄を祓い豊作などを祈願して、茅の輪くぐりと湯立てを行う。
荒川相撲は現在廃絶しているが、天保七年 (1836)相撲絵馬が残る。
八朔祭 (田の実の節句)は風鎮祭ともいい、稲穂が出揃う時期に行い、現在九月一日。
地下芝居は廃絶しているが、弘化三年 (1846)の「神代巻」二幅で絵説きを行い、法楽と風水虫害のないことを祈願する。
秋季例大祭 (小芋祭り)は稲の収穫期に行い、現在十月第三土日。
氏子地区から太鼓屋台・大幟やこども神輿が繰り出され、太鼓屋台の練り・練り合わせ方等の芸態には、農民の気質と氏子地区の特色をよく残し、境内馬場での太鼓屋台の動きがこの時期のご馳走である、小芋を桶に入れて皮をとるときの動きに似ていることから、小芋祭りの称がおこった。
荒川神社 三大祭
姫路市指定重要無形民俗文化財に認定される、地域に受け継がれた大切な祭礼です。

湯立祭(田休みの祭り) >>
7月17日
田植えを終え、稲の無事な成長を願って行われる祭りです。
この日は「茅の輪くぐり」によって災厄を祓い、さらに湯を沸かし神判を伺う伝統の「湯立て」が行われます。
現在は廃絶していますが、古くは「荒川相撲」として奉納相撲が行われていたことが天保7年(1836年)奉納の相撲絵馬からうかがえます。

八朔祭(田の実の節句) >>
9月1日
稲穂が出そろう時期に行われる、五穀豊穣を願う祭りです。
近年では約100年ぶりに「絵説き」が拝殿で復活しました。弘化3年(1846年)の「神代巻」、明治時代の「神代御絵謂書上・下」に基づき、風害・水害・虫害がないよう祈りを捧げます。
昔行われていた「地下芝居」は昭和30年代に廃絶しました。

秋季例大祭 (小芋祭) >>
10月第3日曜日
荒川神社の代表的な秋祭りで、「小芋祭り」の名は拝殿から馬場で練る屋台を眺めた際、「すり鉢の中の小芋が洗われている」ように見えることに由来しています。
宮入り、馬場での練り合わせ、階段登り、拝殿練り、山登り、山降り──多彩な見せ場が続く迫力ある祭礼として知られています。
御旅所へ向かう急坂「いろは坂」は最大の難所であり、屋台の結束や地域性を象徴する場面です。
平成13年以降、祭礼のクライマックスには全屋台の練り合わせが行われ、最後に万歳三唱が響き渡ります。
地域に受け継がれる祭礼文化
荒川神社の三大祭は、稲作文化の過程を現代に伝える貴重な祭礼として、姫路市重要無形民俗文化財に指定されています。
田植え、成育、収穫という農の営みと深く結びついた祭りを今日に至るまで守り継いできた保存会の尽力によって維持されています。
地域の歴史と誇りが込められた祭礼は、これからも変わらず次世代へと受け継がれていきます。
歴史
当社は元加茂明神と称し、赤松満祐が山城国岡田 (現京都市) 加茂神社より分霊を勧請。社地は現在の岡田町、寄進せられた社領は現在の町ノ坪地内で方一町の水田であった。
長禄2年 (1458年) に紀伊国安楽川庄御船神社より手置帆負大神・彦左知大神を勧請。
承安2年 (1172年) に平清盛が崇祀した水波能女大神を遷祀して荒川神社となる。
天文2年 (1533年) に今の社地に遷座したが、兵乱にて社殿荒廃したので元禄2年 (1689年) に法輪時山の東に奉遷。その後正徳元年 (1711年) 再び現地の宮山に遷座し、社殿が昔日の観に復した。
当社は古来より武将領主の崇信が厚く、赤松満祐が田を寄進、長禄年間には英賀城主から領田寄進すること再三に及び、祭事には25頭の走馬を催し、秋季例大祭には20頭の流鏑馬を執行した。
正徳元年 (1711年) 姫路城主・榊原式部大輪より現在の社地を寄進され、明治7年 (1874年) に村社、大正6年 (1917年) には郷社になる。
昭和に入り県社昇格を請願中に、大東亜戦争(太平洋戦争)となり遂に敗戦。宗教法人として活動している。
現在は旧荒川村六町と新しい六町で氏子を形成し、年間行事を奉仕している。











